彷徨えるユダヤ人 (Wondering Jew)
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  中世以降語られた伝説上の人物。イエスを嘲り平手で打った罰として、キリスト再臨の時まで地上を彷徨うことが定められた。ピラトの下役カルタフィルス(Cartaphilus)だとも、アハシュエロス(アハスヴェロス)(Ahashverosh)、最高法院(サンヘドリン)の門番、エルサレムの靴屋、あるいはブタデウスという名だとも云われる。16~17世紀にかけて各地に現れたという伝説も多い。
 最初の記述は聖オーバン大修道院(現聖オーバン大寺院)のイギリス人修道士マシュー・パリスによるものである。1228年アルメニアの大司教が修道院を訪れた時、修道士たちがキリストの受難に立ち会ったヨセフという男が生きているという話をしたところ、大司教は自分も会ったことがあると応えたという。元はピラトの法廷の雑役夫でカルタフィルスという名であり、イエスが法廷に引き出される時に、キリストを叩いて早く行くようにと罵った。するとイエスは「私は行く。おまえは私の戻るまで待て」と言った。男はその後悔い改めて洗礼を受け、ヨセフと名乗ったが、100歳になると、イエスが彼に語りかけたときの年齢である30歳に戻ってしまうのだという。
 また、ドイツで1602年に出版された『アハシュエロスという名のユダヤ人の話』というパンフレットでは、ゴルゴダの丘へ向かうイエスが担いだ十字架を店の前にもたせ掛けて休むのを許さなかったため、最後の審判の日まで休むことができなくなったという。彼は自分の運命を受け入れたが、その後彼は不信仰者、特にユダヤ人への生ける警告となったとされ、この話は史実として受け取られたようである。
 その後も、1601年にはリューベック(ドイツ北部)、1604年にはパリ(フランス)、1614、1633年にはハンブルク(ドイツ北部)、1640年にはブラッセル(ベルギー)、1658年にはスタンフォード(イギリス)でみられたという。また、19世紀のウェールズで土地の若い娘を誘惑した余所者が彷徨えるユダヤ人と疑われたという記録があり、彼は「愛を得るのが私の運命で、結婚しないのが私の宿命だ」と言ったという。
 他に、スペインでは巨人だったり、スイスではその涙がツェルマット近くの湖を作ったと言われたり、ブルターニュでは突風は姿の見えないユダヤ人だと言われたり、イタリアでは海底に鎖で繋がれているとか、地獄への穴を掘っていると言われ、ドイツ、スイス、フランスでは万年雪、氷河が彼の歩いた足跡だとか、様々なバリエーションがある。彼は突然忘れていた昔のことを口にして素性を人々に明かすと言われている。小さな村を訪れて、百年前にここを通ったときは凄く栄えていた、あと百年すれば跡形も無く消え去るだろうという予言をする人は彷徨えるユダヤ人だと言われていた。
 彷徨えるユダヤ人の存在は、キリストの殺害に加担した罰として、ユダヤ民族が永遠に国を持たない放浪者としての呪いを負っているという中世キリスト教国の一般的な考えに関連して、広く知られるようになる。
 死なないのではなく、死ぬことのできないという意味での不死者。不老不死の代名詞として知られる。
 イエスが呪いを与えるという記述は、福音書にはいちじくの木を呪う(イスラエルやエルサレムの暗示だとされる)(マタ21:18、マコ11:12)記述しかないが、5歳~12歳のイエスを物語った外典『トマスによるイエスの幼時物語』では、肩がぶつかった少年やイエスの頭を打った教師を呪い殺したり、イエスを訴えた人を盲目にする呪いをかけたこともある。
 死ぬことのできない彼は、どうやって生きているのだろうか? キリストに回心し、贖罪の旅を続けているのか、或いは世界の終末をもたらすために働いているのか。


(1) 「決して死なない者(マタ16:28)」「わたしの来るときまで彼が生きている(ヨハ21:22)」をユダヤ人だと解釈したとされるが、いずれも弟子たちに語られている。
(2) ユダヤ人に対する憎悪や差別、ペスト発生以降に出されたユダヤ人追放令が背景にあるようだ。
(3) 日本で紹介している文献としては彷徨えるユダヤ人が平戸から九州本土へ渡るフランシスコ・ザビエルと船に同乗して問答を交わしたという『さまよえる猶太人』(芥川龍之介)がある。また、ウジェーヌ・シューが『さまよえるユダヤ人』という同名の新聞連載小説(1844~1845)を発表している。
(4) 「彷徨えるオランダ人(Flying Dutchman)」には幾つかの伝説があるが幽霊船のこと。
(5) 健康であるにも関わらず、自分が病気であるかのように振舞って各地の病院を渡り歩くミュンヒハウゼン症候群のことを「彷徨えるユダヤ人症候群」と呼ぶこともあるようだ。
(6) 聖アルバン(オーバン)とは、イギリス最初の殉教者。250年にローマ帝国統治下の属州ブリタニアでキリスト教聖職者を匿い、また自らも改宗したことで処刑されたとされる。